無人島で朝から清掃はしない
私は、社員に厳しいルールを押し付けないようにしている。
例えば朝の清掃に関しては、始業前にボランティアで行うものとして、強制しないようにしている。
結果どうなるかというと、9時半を始業として15分前に出社する者が2割、10分前に出社する者が5割、5分前が2割、ギリギリまたは遅刻する者が1割となっている。
理想的に清掃自体は、始業20分前に開始して、5分前には着席しておくことを心掛けるように伝えているが、なかなかそのようにはいかない。
もしきっちりと清掃することを目的とするならば、そのようにルール化してしまえば話は早いだろう。例えば、出勤時間を9時として就業規則で決めて、従わない者はそれなりのペナルティを与える。
そのような意見が昭和で育った古株社員から出ているのも事実だ。特に、出来ている2割の社員からそんな意見が出てくる。
私は、そんな社員にどう回答するかというと、決められたことを守るのは当たり前。ルールとして決められてない中で、全体を意識した自己の役割を果たすこと、誰かの為にボランティアで出来ることの方が人として最も重要ではないだろうか。
所詮、たかだか清掃の話である。(笑)
出来ている者達からしたら、出来ないもの達のことが理解できない。
これは人間関係で必ず出てくる問題ではないだろうか。
出来ない相手を自分の物差しで測って優劣をつけてはならない。相手から見たら、自分も劣っていることは山ほどあることを忘れてはならない。
そんな裁きを止められない社員に話したことが何かというと、もしここが南の島、無人島で自身が放り出された立場だった場合、朝から時間を決めて清掃に励むだろうか?おそらく生きるために、水の確保と食べ物探しに勤しむに違いない。
おそらくこのルーティンに執着するのは、日本の義務教育でチャイムが鳴る管理下において集団生活してきた結果に過ぎない。
生まれ育った環境で、固定概念が生じ、それがあたかも善行であると思い込む。これが、教育の実態である。
私は、人生として俯瞰したとき、もっと大切な事が山ほどあると思っている。
たかが朝の清掃ではない。自分がやらないのに綺麗に保たれている場所は、誰かが早く起きて出社し、汗水流して犠牲を払って清掃して保たれている。
もし、朝が苦手で出来ないならば、その代わりに少しでもその組織の為に何らかの形で貢献することに全力を注ぐべきだろう。
私は、社員一人一人がどのように今の自分を変えようと努力しているのか?ということが一番の関心ごとである。
もちろん私は、種明かしをすることをせず、ひたすら社長としての役割に徹することに集中している。朝一番に出社し、清掃しながらイラつく自身の感情と直向きに闘うわけだ。(笑)
こんな複雑に、訳の分からぬ試練を自身と社員に課すため、抗う社員も出てくる。特に古株は許せないようだ。
もっとシンプルに気分良く仕事させて欲しいと願っている結果だろう。
でも面白いことは、そんな社員ほど会社を辞めようとしない。
ある意味、自由という名の、とてもきつい生き方を強いられているのに、食い下がってくるのは、きっと私の意図して伝えたい、生き方の本質をわかってくれているのだろうと信じてやまない。