未読スルー事件が教えてくれた“伝え方”の大切さ
それって東京の方言?という話なのだが、先日、東京へ出張した時に、これまで気にしたことのない言葉を耳にした。
店員が、食事が済んだ食器を指して「これ、下げちゃいますね」と、気さくに同意を求めてきたのだ。
もちろん、下げてもらうことには抵抗はない。しかし、「〜しちゃいますね」という表現は、九州ではあまり耳にしないため、どこか軽くふざけているようにも感じられ、非常に滑稽だった。
その一言がきっかけで、私の「〜しちゃいます」探しが始まった。
東京で会ったほとんどの人々が「〜しちゃいます」を連呼しており、果てにはニュースキャスターまでもが使っていることに気づいた。これはもはや標準語になりつつあるのではないか、と思ったほどだ。
北九州でも語尾に「ちゃ」や「ち」をつける表現があるため、特に珍しいものではないのだが、聞き慣れない言葉を当たり前のように話されると、つい笑ってしまうものだ。
そんな折、お客様と電話していた自分が「はい、それは〇〇しちゃったものですから…」と話していることに気がついた。不覚にも、すでに移ってしまっていたのだ。(笑)
人は、気づかないうちに影響を受ける生き物だ。
となると、「誰と過ごすか」というのは良くも悪くも非常に重要だと改めて思う。
叱らないことの弊害
今回の出張の最後に、六本木の静かなバーでイエステーションの新卒本部社員と話す機会があった。会話の中で、若者の育成についての話題が出た。
正直なところ、私は若者の育成に自信がない。そこで、謙虚な気持ちで彼の意見に耳を傾けた。
彼からの質問は、「西川さんは社員を叱っていますか?」だった。
私の答えは「NO」。叱ることが好きではないし、それくらいのことは言わなくても分かるだろうと思ってきたからだ。
しかし、彼からはこんな指摘を受けた。「叱られないことで、関心を持たれていないと感じ、寂しい思いをする人もいる」と。
私は決して無関心ではない。むしろ、「人を叱れるほどの人間ではない」と自らを律することに専念してきたつもりだった。しかし、それが誤解を招きやすいようだ。
伝わらない叱り方
ある社員の例を挙げて、彼に聞いてみた。
ある飲み会の席で、年配社員が後輩に送ったLINEの未読スルーの画面を私に見せてきた。
その年配社員は、「こんな風に扱われています。笑いのネタにしてください」という意図で見せてきたが、私は笑えなかった。
むしろ、後輩のその態度に「これは断じて許せない」という気持ちが湧き上がった。なぜなら、その態度は必ずお客様への対応にも現れると危機感を覚えたからだ。
後輩社員をその場で呼び出し、飲みの席にも関わらず真剣に伝えた。いや、伝えたつもりでいた。
「何やこれ?俺がこういうの一番嫌いだって分かっとるよな?」
彼は私の形相と声色から察して、すぐに「すみませんでした、分かっています」と涙を浮かべながら反省した様子を見せた。私は、それ以上問い詰めることをやめ、その後は何事もなかったかのように場を盛り上げた。
しかし、本部社員からこう言われた。
「大変恐縮ですが、西川社長の意図はおそらく伝わっていません。私たちの世代は、言葉で明確に伝えられないと分からないんです」。
なに?意味が分からん。感情を揺さぶる出来事が起こり、涙まで流して反省しているのに分かっていない?どういうことだ?
頭の中が混乱する私に、彼はこう説明してくれた。
後輩社員が学んだのは、「未読スルーは西川さんが気に入らない。怒られるから気をつけよう」ということだけで、私が伝えたかった本質ではなかったのだ。
エステートプランの流儀
私が伝えたかったのは、「年配者を軽んじるべきではない」ということ。いや、それだけではなく、「親しき中にも礼儀あり」という日本の美徳を重んじ、大人としての態度を持つことが重要だということだった。
相手が誰であろうと、リスペクトを忘れず、礼儀をもって接する。これがエステートプランの流儀であり、すべてのお客様に対してその想いとサービスを提供することが基本だ。
その場にいた北海道の友人であり、コンサルタントとして助言をくれる同志からも、「会社の方針として明文化するべきだ」と勧められた。
経営の難しさを改めて感じたが、また一から始めちゃおうと思う。(笑)