幸せは、未来に存在していない
それを強く感じたのは、Netflixで2人のスーパースターのドキュメンタリーがたまたま目に留まり視聴した時のことだった。
ジェニファー・ロペスとセリーヌ・ディオンのそれぞれの現在に至るまでの半生が、本人の言葉と映像で赤裸々に描写されていた。
2人とも言わずと知れた、エンタメ界で頂点を極めた人たちなのだが、2人とも日々を葛藤の中でもがき苦しんでいる。
セリーヌは、難病が発症して思うように声が出なくなり、歌手生命が危ぶまれている。
ジェニファーは、病ではないものの過去の劣等感と闘い、何かを証明するために必死の様子だった。
凡人からしたらわからない世界なのだろうが、少なくとも見ていてとても痛々しく、可哀想に思えたのは私だけだろうか。
誰もが羨むほどの栄耀栄華を極めた人たちが、50代になりそのような心の痛みに耐えながら生きている。
彼らのパフォーマンスは、私自身、昔から映画や音楽で魅了されてきて、与えられたものはとても大きい。
セリーヌとアンドレアのデュエット曲、「The prayer」には、とても心を動かされたものだ。
ジェニファーは、女優でありながら歌手までこなす多才な女性である。
ほぼ同世代である彼らの生き様を見ているととても複雑な気持ちになる。
若かりし時は、よく人生の意味を問うて来たのだが最近はその答えがとてもシンプルなものだと感じ始めている。
今、私は53歳の年を生きているが、生きていると言ってもいつ死ぬかわからない晩年に入りつつあることを考えると、悩んでいることさえ無駄な時間とさえ思えてくる。
この一瞬、現在がとても大切な時間であり、幸せな感覚を阻害する悩みの時間は、効率良く生きたい自分にとってあまりにも非効率である。
ほとんどの人に当てはまると思うのだが、人間は幸せになるために何かを得ようとしている。お金であったり、地位や名誉といった今よりもより多く良いものを求めるわけだ。
皮肉なことに、これがゆえに幸せを感じることができる大切な一瞬の時間を失っていることがある。
お金や名誉を否定する気はない。それらを持ち合わせる方がゆとりがあるし、得たい物が手に入りやすくなり、時間の過ごし方も変わってくる。
しかし幸福感をもたらす要素はそれだけではない。むしろそれが足かせになることもあるようだ。
それを持ち合わせたこの世の成功者でも、幸せそうな人とそうでない人に分かれる。
最近、ふと湧いて来た想いがある。
それは、この一瞬間を幸せだと感じることが出来なければ、実は未来に期待しても幸せはやってこないということだ。
多くの場合、いつかこの先何かを得たら、例えばそれが物質的なものであろうが、精神的なものであろうが、幸せをもたらしてくれると考えがちである。
それらは、手助けはしてくれることはあっても幸せそのものはもたらしてくれないと私は思う。
根拠なき自信という言葉を耳にしたことは無いだろうか?
幸福感も同様で、根拠ないものであることが重要なのだ。
今、不安だらけで不幸せな感覚ならば、酒飲んで寝てから目覚めてもその感覚は消えていない。何故ならば未来は今現在の連続であり、一瞬間が繋がってできているものだからだ。
それを断ち、全く異なる意識を持つことしか、幸せになる術は無い。
ただちに、未来に期待することを止めなければならない。
それはどこまでも思考の世界の話なので、今までに無い考え方が求められる。
果たしてその考え方とは何なのか?そのようなものを持ち合わせ、万人が平等に幸せになることが可能なのだろうか?
次回は、それについて言及していきたい。