真の豊かさを感じる瞬間
「私があなたに10億円をあげると言ったらどうする?」と富豪は言う。
「もらいます」とあなたは答える。
「でも10億円もらう代わりに明日死ぬとしたら?」と富豪は続ける。
「それなら、やめておきます」とあなたは答えるでしょう。
それは何を意味するかというと、”明日”にはそれだけの価値があるということ。明日の朝目覚めて、新しい1日を迎えるだけでも素晴らしいということです。
先日、社員の同行で小倉北区内の古家付きの土地を売却されるお客様と面談することとなった。
その方は、関東圏で地道に経営をしてきて、現在60歳を越えたところだが、十分老後の蓄えがあるであろうことが話していて理解できた。
この方について語ろうと思ったのが何かというと、「豊かさ」である。
当然、金銭的なこともあるのだが、聞いている限り億万長者という訳ではない。また、特別に外見からオーラを感じるなど、私が外的な面で個人的に羨むようなことはほぼない。
しかしなぜだろうか。お会いした瞬間から不思議な安心感と信頼感を覚え、その余裕に中に「豊かさ」を感じるのである。
お金を持つこと、成功者だと世間で認められる人は、この世の中の一部の人間に過ぎない。私を含めほとんどが凡人であり、庶民として普通に経済的に頑張って生活しているのだが、「豊かさ」を求めながら、自他ともにその正体が不鮮明になっているような気がする。
「豊かさ」=お金ではないことは誰しもわかっているのだが、どうしてもそれを基準に幸福度を量る傾向にあると私は思うし、それ自体は否定するつもりはない。
お金をあまり持たない者の戯言ではあるが、「豊かさ」は周囲の誰かに示すものではなく、自身が感じていることが重要で、結果、周囲はそれを感じとることになるのだということを、この方を通じて悟るに至った。
はるばる朝から新幹線で関東から来られて、客であることを盾にすることなく、終始笑顔で私と社員を気遣ってくれた。
さり気なく手渡された崎陽軒のシュウマイの味が格別だったことは言うまでもない。