今、このままで幸せである
前回の「幸せは、未来に存在していない」では、今をどう感じているかが未来を決定することについて書いた。
現在想っていることが現実化し、そのまま未来を創り出す。人は、想像し創造することができるということだ。
少なくとも、我々の目の前にある全ての物が、誰かによって造られたことくらいは誰でもわかる。
食卓のテーブル、皿、箸、そして料理そのものまで、全て誰かの想像したものが形になったものである。
実は、勝手に湧いてくると思われがちな自分の感情すらもそれを幸福か不幸かというカタチに変えるのは、自身の考え方によって決定付けられる。
経験を積むことで考え方も変わるだろうし、湧いてくる感情も異なり、努力と成長とともに、自分の理性による感情のコントロールが可能となり、創造される未来の形は変わる。
中年になって反抗期っていうおっちゃんがいたらなかなか珍しいし、いたとしたら見ていて痛過ぎる。
感情の取り扱い
今、この一瞬間が幸福感に満たされていることが大切であり、いつかやってくると期待するものではないということをまず知らなければならない。
幸せになる術としてありがちなのが、内なるものではなく外を強制的に変える方法である。
自分の身体にコンプレックスがあって、もしそれを変えることが出来たらなら、自分に自信が持てて幸せになれるはず。
もしパートナーや伴侶、子ども、または同僚や上司が、自分の願うように変わってくれたら満足できるはずだと考える。
しかしそれはもはや考えていない思考停止の状態であり、理性が怒りや悲しみといった負の感情に押し潰され、自己の承認欲求、そこから派生する他人への期待や要求がいびつな性格を創りあげていると言える。
常に不安で満たされない状態がこの一瞬に起こりそれが続くのだ。
暇な時ほど、人はマイナス思考になりがちである。忙しいほうが、気がまぎれるというのは私も経験がある。
しかし、本質的にはこの一瞬間の感情の取り扱い方法を変える以外に永続的な安心を確保する術は無い。
では、私はそれができているのか?答えは、おそらくNOである。
そもそも私ができているならば、こんなことを考えることすら必要ない。
しかしながら、若い時から少しだけましになってきたことを自負しているため、同じ悩みを抱える人達、特に若者達が少しでも最短距離を歩める道は無いものだろうかと模索しているわけだ。
本題に戻るが、今この一瞬間を幸せと感じている状態というのは、現状を全てこのまま、ありのままで満足をしているということである。
それは、内外問わずだ。外、すなわち他人や環境はもちろんのこと、内なる自分の欠点すらも受け容れ、感謝できて笑顔が絶えないという感じだろうか。
マイナス思考は、人によるだろうが一般的には、かなり根深くて簡単には変えられない。
何故ならば、それは習慣によるものだから、ちょっと2〜3日やってみたくらいでは、到底何らの変化すら生じない。
あまり聞きたくない話だと思うが、私の経験上、結果は数年スパンくらいでないと、その変化を自覚することはできないと思っている。
偉人達の偉大な業績のほとんどが、幾年もの地道な努力の結果であるのと同じことだ。
合鴨農法に学ぶ
合鴨農法という、害虫駆除を農薬散布に頼らないで、どこまでも自然に近づけた米作り農法があることをご存知だろうか。
その先駆者として有名な古野農場の古野さんは、福岡県嘉穂郡桂川町で幾度となく困難にぶつかりながら、何年も挑戦してやっと成功することができたという。
米作り農家のチャレンジは、一年に一度しかできないという途方もない作業である。自分を信じる余程強い信念が必要となる。
自分を変える、進化させることは、この農業と似た法則の中で行う以外に道はない。
残念ながら近道は無いと思われる。
その法則に逆らわないで行う、地味なたゆまぬ努力が必ず将来に実を結ぶ。
その努力の方向性が幸せになれるか否かを決める鍵となる。
人を押し退け勝つことに精を出すのは得策ではない。何故ならば、必ず上には上がいるからだ。そんなことをしていても自己承認は一生出来ない。
極端にいえば、オリンピックで勝つためにドーピングを行い金メダルを取った者が後から剥奪され、奈落の底に落ちるようなものだ。
仮にそういう人間が実力で金メダルを取れたとして、果たして心が満たされるか疑問である。
次回は、幸せになるための具体的な考え方について言及したい。