娘への手紙
先日、長女が福岡の大学を卒業して山口県の某会社に就職し入社式を迎えた。
その約1ヶ月前に、その会社から私宛に手紙が届いたので開封したところ、入社式で使うために親御さんからお嬢様への手紙を書いて欲しいとあった。
昨今、新卒者の転職率が上昇しており、中小企業は新卒者に少しでも長く会社に残ってもらえるよう、このような様々な手法を使い、子ども達のみならず、親までも巻き込み、心を動かす努力している。
私自身も新卒採用を何年も行なってきた経験から、その実情を知っているため、一瞬笑ってしまったのだが、子どもに手紙を書く機会なんぞ今後あり得ないことを考えたら、その会社が与えてくれたこの機会を感謝して受けとめ、素直に便乗して、子どもに親として今感じていることを伝えるのが勤めであると心を入れ替えた。
私ももう若くはない。いつ、突然に人生が終わるかわからないのだから、機会は与えられた時、その都度メッセージを残すべきであると思い、長女への遺書と思って書き記した。
手紙(遺言)
入社おめでとう。良い会社に出逢えて良かったね。
突然ですが今日は、先に社会で生きてきた一先輩として伝えておきたいことが3つあります。
何か違うなぁと思ったら聞き流して忘れて下さい。
一つ目、仕事は楽しくやりましょう。
どんな業務であろうと創意工夫と向き合い方でその価値が変わります。
受け持った仕事が楽しいか否かではなく、仕事を楽しく感じることのできる力と感性そのものを磨いて下さい。
2つ目、「すみません」をなるべく使わないで「ありがとう」を多用しましょう。
人間、余程のことが無い限り謝罪は必要ありません。
失敗やミスは、人間である以上必ず起こります。そんな時、萎縮してすみませんという言葉を乱用するくらいなら、胸を張ってありがとうございますという言葉に置き換えて見てください。
3つ目、迷った時は、楽しいと思える道を選択しましょう。
何かに対して責任を持つことで選択を迫られる時、万民に受け容れられる道は存在しません。
世間にどう見られるかではなく、笑顔で自分の信じる道を歩んでください。
私は、立派に育ったあなたを尊敬し誇りに思っています。
約22年前、自己中心的で心から人を愛することのできなかった未熟な私に、あなたが「愛する」という言葉の意味を教えてくれました。
夜泣きしているあなたを、いつも暗闇で座椅子にもたれかかりながら、胸の上で寝かしつけていたことを、今になって時々思い出したりしています。
健康に成長していたあなたが、突然、病に侵されて大きな手術を経てから何ヶ月ものリハビリの日々を、一言も弱音を吐くことなく乗り越えたことを、父として見守ったことで誰よりも知っているつもりです。
福島先生に執刀して頂けるよう願いをこめて送った手紙に、親バカではあるけれど、娘がどれほど素晴らしい子で、生きる価値があり、私の命と引き換えにしてでも救って頂きたいと綴ったことが、今では微笑ましい思い出となっています。
あなたを救って下さった福島先生は、こうしてあなただけではなく、私の命の恩人ともなりました。
色んな方々にお世話になってきたね。人は一人では生きられないことをあなたが一番わかっていると思います。
これからの人生、人との出逢いは決して偶然ではなく、必ず意味があり、自身の成長とその先にある幸福に辿り着くために存在しています。
あなたは、十分に親孝行してくれました。今後、父のことはどうでも良いので、これから出逢う全ての方々に対して、感謝の心を持って接していって下さい。
これからも命をかけてずっと見守っているよ。我が子として、生まれてきてくれて、そして生きていてくれてありがとう。
生きているだけで丸儲け
長女は、高校生2年生の時に突然生じた脳幹部の腫瘍で生死を彷徨ったのだが、当時神の手と呼ばれた脳外科医の福島先生によって、奇跡の生還を遂げ、この度人生の節目として晴れて大学卒業、そして就職することができた。
一般的には、親として子どもに期待してしまうことは当然なのかもしれない。
子どもが将来苦労しないように、やれ勉強しなさいだの、こうしなさい、ああしなさいと言いたくなるのは、親の本能として、生きる術を教える義務を全うしているだけなのかもしれない。
しかし私と同じ経験をしたらきっと同じことを思うだろう。
子どもは、ただ元気で生きてさえいてくれたらそれでいいのだ。